2008年10月06日

メディアが変える経験

■メディアが変える経験

既にお気づきの方もいるかもしれないが、このブログのタイトルにある「メディア論」とは、一般的には社会学の中に含まれるメディア研究を指す。

私は大学時代にメディア論を学んで文字通り世界観が一変し、そこから、日常的なものの見方にもメディア論の影響が出てくるようになった。

メディア論とは恐ろしく簡単に言ってしまえば、メディアが伝達するコンテンツではなく、メディアという形式自体が社会構造や人間の経験を変化させているという立場を表わす。

これはカナダの英文学者マクルーハンが主張したことだ。

★マーシャル・マクルーハン-Wikipedia

例えば、テレビというメディアは、その番組内容よりむしろ、ある情報を一瞬のうちに何千万人という視聴者に発信してしまうという、テレビの形式自体が人間の経験のあり方を大きく変化させているのだということだ。

今では、このようなマクルーハンの主張は、メディアという技術が一方的に社会を構成しているという短絡的な「技術決定論」だと批判されている。しかし、それでも、「メディアによる社会の変化」という視点は現実の重要な一側面を表しているように思える。

■消えゆく経験

メディアが発達すると人間の経験も変化する。これはマクルーハンの主張を示すまでもなく当り前のことだ。しかし、経験が変化するということは、それまでの経験が失われるということでもある。

例えば私は、学生の頃ゲームボーイが大好きだった。ご存知の通り、ゲームボーイというと、単三や単四の電池を入れて遊ぶポケットゲームだ。

ドラクエやポケモンを夢中でやっていると、よく赤のランプが点滅して電池がなくなったものだ。そうすると、家の生活用品がまとめてしまい込んである引出をあけて電池を探す。そこにないと母親にないか聞く。それでもないと近くのスーパーに電池を買いに行くわけである。

早くセーブした所から続きを遊びたい、カイリュー(ポケモンの名前)のレベルを上げたい、とかそんなことを考えながら、電池を買うためだけに家を飛び出して店に走るという経験は今では懐かしい思い出だ。

そんなポケットゲームも今では充電式が当たり前になっている。ニンテンドーDSはランプがオレンジ色になれば充電のサインでコンセントに刺せば2〜3時間で満タンになる。もうゲームの続きを遊ぶために電池を買いに行く必要はなくなったわけだ。

ゲームの続きを思い浮かべながら、いてもたってもいられない気持ちで、電池を買いに走ったあの経験にいったいどんな意味があるのかは分からない。

ただひとつ言えることは、メディアが発達し自分たちの経験が変わるにつれて、例えそれが取るに足らない些細なものであれ、生活の中からある種の経験が消えていくということなのだ。


ラベル:メディア 経験
posted by Tommy at 17:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月05日

日記ブログを始めてみた

既に何件かブログを運営しているのだが、今回初めて日記ブログを初めてみた。

これまで日々思ったことや考えたことを、(たいしたことも考えていないのに)ひとつ残らず忘れたくないと思い、ノートやパソコンに書きためてきた。

しかし、せっかく書いても全部自分の中の押入れに閉まっておくのはつまらないなあと思い、ブログにすることにした。

自分の思考の記録と鍛練のため、そして来てくれた人が単純に読んで面白いと思ってくれるために書いていきたいと思う。



ラベル:思考 日記
posted by Tommy at 10:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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