2008年10月22日

感情と空気を呼び起こす写真

■撮影者の心をうつす写真

先日大学時代の知り合いの写真展に行ってきた。街の風景や市井の人々の写真が壁一面に貼られていた。交差点、団地、エスカレーターなど、撮っている対象自体は日常的に見かける普通のものばかりだ。しかし、1枚1枚がすっと心に入ってきて、あるものは深く刻みつけられ記憶に残った。

写真の持つこのような魅力とはいったい何なのだろう?対象自体はごくありふれたものなのに、なぜある種の写真は深く心に残るのだろうか。

ひとつは、写真とは撮影者の心を反映するものだからだ。ごくありふれた光景でも、(時間的にも空間的にも)「どの部分を切り取るか」に、撮影者の興味関心が反映される。

例えば、通勤途中の見飽きた新宿の風景も、晴れた日に高層ビル群が朝日を浴びて輝いている様を綺麗だなと感じるかもしれない。その光景を写真に撮って切り取ると、その「綺麗だな」という感じ自体も写真に真空パックされるのである。

■静止した世界

写真の魅力は撮影者の感情だけではない。撮影者の心が反映されるということであれば、映画などの映像も同じであろう。写真が映像と決定的に異なるのは、時間的に静止しているという所である。

メディア論では、この写真の持つ時間性に着目されることが多い。本来人間は写真のように完全に静止した世界を捉えることはできない。だから写真とは本来の人間にはありえない「異常な世界」なのだ。だから、そこには本来見えないはずの得体の知れないものが切り取られる可能性がある。

例えば、何気ない家族の風景を撮影したとして、メインの被写体として撮った子供の後ろにいた母親のほんのわずかな視線の落とし方、口元の歪み、手の位置などから、何か不気味な感情の存在を感じてしまうかもしれない。

■感情と空気を呼び起こす写真

しかし、そのような「不気味な感情」を切り取る可能性があるということは、当然、その反対の、もっと肯定的で美しい感情を切り取ることも写真にはできる。

私は大学時代にあるNPOに参加していて、国際交流を目的としたイベントの企画に携わっていた。イベントの一環で、真夏の茨城にキャンプに行ったことがあった。その時、今ある雑誌でフォトエディターをやっている一人の写真家が同行していた。

目つきが鋭く無骨な印象を与えるその写真家は、いつも黒のTシャツにハーフパンツという出立ちで、手には常に一眼レフのカメラを持っていた。

その写真家はスタッフや参加者の何気ない光景を次々に撮影していた。縦横無尽に動き回り、時に撮る相手と話をしたりしながら、今その瞬間を切り取っていく。写真家にとってはコミュニケーション能力も非常に大切なのだなと思った。

イベントが終わってから、その写真家から、撮影した写真を見せてもらった。1枚1枚が、素敵な写真だった。1枚1枚が、もしその時を逃してしまっていたら、永遠に失われてしまっていたかもしれない貴い瞬間を写しだしていた。

何気ない微笑み、何気ない驚き、何気ない寂しさ。それらは、真夏の8月の日差しの中、必死に仕事をするスタッフやイベントを楽しむ参加者の「感情と空気」を凝縮させて存在していた。

写真とは、その瞬間に含まれていた人間の感情、自然の美しさ、そしてその場所全体が生む空気のようなものすべてを、凝縮して1枚の紙に焼きつけるものだ。

良い写真は、実際の人間の経験よりも、凝縮された形で世界を保存する。だからこそ、ある種の素晴らしい写真は、見た人の記憶に深く刻み込まれ、自分の記憶以上に鮮やかに世界を残す。

私は今でもその真夏のイベントを思い出す際に、その写真家の撮った写真を思い出す。彼の撮った写真を思い出すと、その周りの様々な経験やイメージが呼び起こされる。

私は彼の写真を頼りにして、今はもう存在しないあの時間を思い出しているのである。
ラベル:写真
posted by Tommy at 11:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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