2008年10月23日

【書評】学問の対立―後藤和智『おまえが若者を語るな!』

おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)
おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)

先日の早稲田文学シンポジウムでも話題になっていた問題の作品。

本屋での立ち読みとネットの情報で概要は把握していたが、今回買ってきちんと読んでみることにした。

概要はamazon等を参照いただくとして、感想を述べていきたい。

まず一読して、よくここまでキツイ言葉で各界の論者を批判できたなと。
そのことにまず驚いた。

恐らく著者の後藤氏は、都市・建築学専攻の大学院生とのことなので、論壇を敵にまわしても、自らの将来には無関係だからこそできた所業なのだろう。これはこれでスゴイ。

■「根拠がない」一辺倒の空しさ

本作において、著者の主張は終始一貫している。宮台真司、香山リカ、東浩紀などの若者論者(彼の定義)は、「データによる実証性」がない思いつきの論を展開していて、それが返って社会に悪影響を与えているというものだ。

まずここで問題なのは、社会というものを統計データだけで把握できるのかということだ。社会というのは、自然現象と異なり、内面を持った複数の人間が相互行為することによって生まれる複雑な現象なのだ。

そのような複雑なリアリティを把握するためには、どうしても「解釈」という内面的な行いが必要になる。著者はそれを「自分の身の回りで起きた事例のみ取り上げている恣意的なもの」と批判するが、それでは、研究者が経験に基づいて考えることすら否定することになってしまう。

また、「データによる実証性がない」と主張しているにも関わらず、そういう著者の批判自体の「データによる実証性」はほとんどなかった。いくつか統計データは参照しているようだが、図表という形式で示しているのはなんとP.19とP.144の2か所だけだ。

要するに、著者は若者論者たちの著作の中から、それだけ抜き出すとさも頭の固い老人の意見のように思える箇所だけを抜き出し、「根拠がない」と叫んでいるだけなのである。

データがないと批判しておきながら、著者自身の「若者論が日本を生きづらい世の中にした」という主張にも、データによる実証性は全くなかったのだ。

私としては、「根拠がない」というだけでなく、「データに基づいてこういうリアリティが証明されるから、若者論は実証的に間違っている」というような意見を展開してほしかった。

■学問の対立

しかし、その一方で、著者がデュルケムやブルデューなど、統計的実証に基づく社会学の功績は正当に評価しているのには好感を持った。著者は社会学全体を批判しているのではなく、あくまでデータに基づいていない若者論のみを俗流として批判しているのだ。

私自身は、上記の通り、経験に基づく解釈でしか捉えられないリアリティもあるという立場を取っている。しかし、若者論者が展開した解釈に本当に飛躍がなかったかと言われると、必ずしもそうとはいえない。

結局この問題は、「科学とは何か」「学問とは何か」という根本的な問いに行きつくように思える。

人文社会科学と自然科学の間には深い川が流れている。歴史的に見ると、人文社会科学と自然科学は常に互いに問い直しをし合うことで発展してきた。

恣意的な解釈にいかに科学的根拠を持たせるのかという人文社会科学への問い。暴走する科学の発展は社会倫理にどのような影響を与えるのかという自然科学への問い。

今回若者論をテーマに自然科学の論者が放ったカウンターパンチを受けて、人文・社会科学の論者はどう反論するのか。書籍や雑誌での明確な発言はまだ見られない。


★人気ブログランキングに参加しています。
★よろしければクリックお願いいたします。

人気ブログランキングへ
posted by Tommy at 12:10| Comment(0) | 本(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。