2008年10月29日

この東京には、まだ無数のストーリーが転がっているはずなのに

■退屈な日々

いつもの様に、高架になっている中央線の駅のホームから、見慣れた街並みを見下ろすと、何だかつまらないなあと思った。退屈な風景。退屈な生活。退屈な毎日。

なんでこんなに退屈なんだろう?それは「物語」がないからだとふと思った。物語というのは、小説とか映画とか単に娯楽の一形態ではなくて、もっと生活に根ざした、欠くべからざるものなのだと思う。

物語の定義は様々だろうが、私が考えたのが、「時間的に連続していて、相互に意味のつながりがある、イベントの集まり」というものだ。まわりくどい言い方だが、要は「筋があるイベントの集まり」ということだ。

例えば、よくある学園モノ。主人公の男が授業に遅刻しそうで慌てて廊下を走っているところ、転校生の女の子と鉢合わせになるという馴染みのシーン。このような現実にはあまりお目にかかりそうもないイベントも、その後何も発展性がなかったら物語は成立しない。

その後、ぶつかって険悪ムードになった二人が実は同じクラスだったことが発覚して、その後何となく放課後一緒に帰るようになって、いつしかひかれ合うようになって、と連続したイベントが続かないと物語は成立しない。

筋のあるイベントには「意味」がある。われわれ人間は、芸術家とか特殊な人種を除いて、「無意味」なものをつまらないと感じる。一方「意味」があるものに関しては面白みを感じる。ではなぜ「意味」があるものは面白いのか?

■物語が面白い理由

「意味」があるということは「何かと関係している」ということだ。「この仕事には意味がある」というとき、その仕事は成果と関係しているということを表わす。逆に無意味な仕事とは成果に結びついていない仕事を表わす。

ここからが安っぽいポピュラーサイエンスっぽくなってくるのだが、要は人間は頭の中で何かと何かがつながると快感を感じるようにできている。いわば物語というのは、脳神経細胞に次から次へと様々な発火を起こさせる連続打ち上げ花火みたいなものなのだ。

このような連続打ち上げ花火が、今の私の生活にはない。だから退屈なのだ。そんなことを思いながらいつものように中央線に乗る。窓の外には午前の日を浴びた東京の街並みが広がる。そこにはまだ出会えるはずのストーリーがごろごろ転がっているはずなのに…



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posted by Tommy at 00:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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