2009年05月23日

前進か後退か…、あるいは道に迷った時に響くデカルトの言葉

大学院の生活にもやっと慣れてきたので、またぼちぼちブログの更新もしていこうと思う。院ってもう少し時間に余裕があるのかと思っていたら、読む文献の量も結構多いし、授業での発表も頻繁にあるし、なかなか忙しい。それでも会社員の時の忙しさとは質がぜんぜん違っていて、こちらの忙しさは全く苦にならないし、ストレスにもならない。手帳に、読まないといけない文献を書き込んでいって、マクルーハン、ハーバーマス、デリダとかずらずら並んでいって、うわあ大変だなあと思いつつも、ぞくぞくしてくる。

会社員時代は、まあ業種によっても異なるのだろうが、毎日代わり映えのしない業務の繰り返しで、同僚はみな早く休日が来ることだけを楽しみに、日々の仕事をやり過ごしていた。そんな生き方って嫌だなあとずっと思いながら働いていた。人生一度しかないのに、1週間の内の5日間も「早く過ぎないかなあ」と思いながら暮らす人生。そんなの絶対に間違っていると思っていた。

しかし、今は毎日もっと濃密な時間が流れている。文献と格闘している時間は辛くもあるが、自分の精神が少しずつ磨かれ、豊かになっていくのを実感することができる。会社員時代にも、このような実感、つまりどんなに忙しくても、少しずつ「前進」していっている感触、そのようなものがあれば、もう少し続けていたのかもしれない。

しかし、院での至福の時間も、うかうか満喫してばかりはいられない。ある程度の年齢になっておきながら、社会的には、また、何も生産しない状態になってしまったという「後退」の感触もなくはないからだ。これは退職した時に一番痛切に感じた。平日の昼間から私服で街を歩いているときにホワイトであれブルーであれ、仕事着を身にまとった人たちを見た時に感じるあの、うしろめたさ。「働かざるもの食うべからず」という、勤労主義をもっとも象徴することわざが、まあ身に刺さる、刺さる。

10年くらい前に、Mr. Childrenが『regress or progress』というツアーをやっていたが、まさに、と今改めて思う。もともと人生において、自分の選ぶ、あるいは選んだ道が、前進なのか後退なのかは、まったく判別しづらいものなのかもしれない。価値観や考え方によっても変わってくるし、時間的スパンによっても変わってくる。前進だと思って下した決断が後退だったり、あるいはまたその逆もあるだろう。

しかし、たとえ前進であれ後退であれ、「今自分がいる場所から移動している」ことだけは確かなのだ。前進なのか後退なのか思い悩んで、いつまで経っても歩まずにいたら、どこへも行けない。デカルトは『方法序説』の中で、「森の中で道に迷った旅人」の例を挙げて次のように述べている。

「旅人は、あちらに行き、こちらに行きして、ぐるぐるさまよい歩いてはならないし、まして一ヶ所にとどまっていてもいけない。いつも同じ方向に向かってできるだけまっすぐ歩き、たとえ最初おそらくただ偶然にこの方角を選ぼうと決めたとしても、たいした理由もなしにその方向を変えてはならない。というのは、このやり方で、望むところへ正確には行き着かなくても、とにかく最後にはどこかへ行き着くだろうし、そのほうが森の中にいるよりはたぶんましだろうからだ」(谷川多佳子訳 P.36)

この文章は、大学で初めてこの本を読んだ時以来、私の心の支えになっている。

方法序説 (岩波文庫)
Ren´e Descartes 谷川 多佳子
4003361318

posted by Tommy at 23:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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