2009年06月04日

【Book】『難解な本を読む技術』+個人的な補足

難解な本を読む技術 (光文社新書)
高田明典
4334035086


昨今の経済不況の影響もあり、スキルアップのために読書をする人が増えている。書店に行くと夥しい数の「読書術」系の本が溢れており、どれもこれも「1日1冊戦略的に本を読め」とか「読んだ本はアウトプットせよ」とか似たようなことばかり書かれている。既にもう見ただけで満腹状態である。

そういう読書も嫌いではないのだが、私の場合は、大学院で思想系の本を結構たくさん読まないといけない身であり、思想系の本にはそういうプラグマティックな読書術は適用できない。そもそも、思想系の本というのは、自分に必要な情報を得るというよりも、その本を読むという経験を通して、自分自身で考えを深めたり、世界観を組み替えたりするものだからである。だから当然、思想書は思想書なりの読み方というものが必要になってくる。

『難解な本を読む技術』は、そのような思想書なりの読み方に的を絞った今までにありそうでなかった読書術系の本だ。こんな不況な世の中でのん気に難解な思想書をしこしこ読める人が(アカデミック関係者以外で)果たしてどの程度いるのか疑問だが、ともかく本書は、思想書を読む人にとっては何かしら得るものがあるのではないかと思う。

例えば、著者は「難解な」西洋系の思想書を2つのベクトルでタイプ分けしている。1つが「閉じている本と開いている本」という分け方で、「閉じている本」というのが著者が答えを明示している本、「開いている本」というのが著者が答えを明示しておらず読者に考えさせる本、だという。このタイプ分けを知っていると、難解な本を読んでいる時に往々出くわす「ああ、この作者はいったい何をいいたいんだよ?」というストレスがいくらか軽減されると思われる。

次に「登山型とハイキング型」という分け方で、「登山型」は著者の提示する概念をどんどん積み上げていくような本で、「ハイキング型」は積み上げ式ではなく著者がいろいろな概念や論理を提示していく本だという。このタイプを分け知っていると今度は、「ああ、この作者は次から次と話が飛んでつながりが分かんないよ!」というストレスが軽減されるだろう。

この他、難解な思想書ならではの「わからなさの理由」として次の4つが挙げ、それぞれの対処法が述べられている。

@その部分で使われている用語の理解が不十分
Aその部分で使われている論理関係の理解が不十分
Bその部分で扱われている問題の理解が不十分
C著者が言おうとしていることを図にする必要がある


この4つはまさに難解な本を読んでいる際によく出くわす障害ではあるのだが、少し物足りなさを感じた。難解な本を読んでいると、用語や論理関係の理解ではどうにもならないような、それこそ途方にくれるような事態にでくわすことがよくある。そういう経験から、私なりに2つほど補足してみようと思う。

・著者が使用している概念が頭の中で整理されていない

これは例えば、『資本論』などを読んでいると「使用価値」「価値」「相対的剰余価値」「一般的剰余価値」など、「価値」と名のつく概念だけでも無数に登場するのだが、このそれぞれをきちんと頭の中で整理しながらよんでいかないと、「登山型」の場合は必ずどこかで行き詰ってしまう。

こういう場合は、簡単に概念を整理した図を紙に描きながら読み進めるのが良い。本書では読書メモを丹念に取ることが推奨されているのだが、やはり時間がかかりすぎてしまうのがタマにキズだ。そのため、あくまで概念を整理することだけを念頭に置き、キーワードや矢印だけのシンプルなものでもいいので、描きながら読んでいくと、いくらか読みやすくなるはずだ。

・著者が説明していることを理解するための経験が不足している

難解な本を読んでいると、「言っていることは何となく分かるのだけど、いまいちピンとこない、ストンと落ちてこない」ということがよくある。この問題に関しては、「理解する」ということがどういうことかについて、もう少し突き詰めて考える必要がある。

「理解する」ということは、そこで語られていることの内容を把握するというだけでなく、語られていることの「重み」のようなものも把握することを意味するのである。例えば、自分が民族的な理由で迫害を受けた思想家の言っていることを真に理解するためには、その思想家が語っていることの「重み」つまり、言外に込められたその思想家の様々な思いも同時に捉える必要があるのだ。そのためには読者自身のそれまでの経験の動員がどうしても必要になってくる。

しかし、だからといって、迫害を受けたことがなければその思想家を理解できないのかといえばそうではなくて、自分の限られた経験を総動員して、誠実に想像力を働かせること。そのようなたゆまぬ努力を続けていけば、いくらか真の理解に近づくことはできるはずなのだ。(しかしこの場合の「真の理解」というのも曖昧なもので、当然ながら100%の理解など存在しない)

そんなこんなで、このように難解な思想書を読むのはまことに厄介というか、骨の折れる行為なのではあるが、辛くても我慢して読み進めて行った先に待っている、あの世界観が組み替えられる時の興奮は、他では決して味わえない、人生でも数少ない妙味であることだけは間違えない。
posted by Tommy at 00:34| Comment(2) | 本(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。『難解な〜』についての分かりやすい(^^)エントリ、とても参考になりました。ありがとうございます!
特にエントリ最後の部分の「理解する」ことについて、考えさせられました。

「理解」≒「共感」についての重要性が説かれている↓のエントリを思い出しました。

分裂勘違い君劇場 - 意外と知られてない、自分を飛躍的に成長させる読書テクニック
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20091101/p1

こちらでは論理や文脈の形式的な「理解」が、ともすれば「真の理解(≒共感)」に辿り着かず、空疎なものに終わってしまうことについて警鐘を鳴らされており、「情動回路」を絶え間なく鍛え上げることをなによりも重視すべし、と述べておられるようです。

『難解な〜』は、読解のためのハウツー本のようですが、この作者がそうした「真の理解」について見落としている、というわけではないと思います。(作者にとっては自明なこと過ぎて、敢えて詳細には言及していない、というのはあるのかもしれませんが。)

『難解な〜』は、ハウツーの体裁を通して、その奥に「登山者」としての作者の背中が垣間見えています。
そのことがまさに読者に説得力を感じさせる点であるのかな、と思います。

逆に、世に盛る内容の薄いと感じるハウツー本は、作者自身が「頂上」の存在を感覚的に理解出来ておらず、結果皮相的なテクニック集になってしまっているか、もしくは読本家の目指す「頂上」ではないところ(たとえばビジネスでの成功。読書はそのためのツールに過ぎず、目的ではない。)を指向しており、読者もそれを感じてしまっている。これらの故に、純粋に「本を理解したい!」と志す読み手は、それらの本を薄っぺらいと感じたり「満腹感」を覚えるのかもしれません。
(…それを言っちゃあ、上記エントリの筆者に関してもテク偏重と言えてしまいそうですが、彼は何だか確信犯的にソレを演じているように思えるのです(汗))

わたしは、本の構成上「余分」である終章の具体例等から、自身も「伴登山者」である作者自身の姿を垣間見て嬉しい気持ちになりました。
Posted by もち9 at 2010年06月05日 22:21
まぁ賢い奴は学校の教師なんかにならねーからな 嫁入り準備か?
Posted by 壇蜜 ?像ヘア at 2013年07月07日 15:33
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