2009年07月10日

児童ポルノURL掲載問題について考える

海外の児童ポルノ・アドレス掲載、19歳私大生ら摘発

 「海外の児童ポルノサイトのアドレスをインターネット掲示板に掲載したとして、神奈川県警が沖縄県宜野湾市のパチンコ店店員(37)と鹿児島市の飲食店店員(37)の男2人を、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(公然陳列)容疑などで逮捕していたことがわかった。


 捜査関係者が明らかにした。海外の児童ポルノサイトのアドレスを掲載した同法違反容疑での立件は全国で初めて。県警は近く、この掲示板を開設した千葉県流山市の私立大2年の少年(19)を同法違反ほう助容疑などで横浜地検小田原支部に書類送検する。」


私は法律については全く門外漢なので分からないが、URLを掲載しただけで逮捕されるというのは、常識的な感覚からはかけ離れており、ショッキングな事件だ。しかし、この問題を考えることで、ネットにおける「リンクを貼る」という行為の本質が見えてくる。

まず、この問題に関しては小飼弾氏が次のような意見を述べている。

news - URLを掲示しただけで刑事犯?

「これがアウトなら、検索エンジンは全部クロにしないと鼎の軽重が問われるでしょう>当局各位」

「警鐘、大いに鳴りましたよ。
『言論の自由終了のお報せ』という警鐘が。
言論の自由どころか、自由な言論へのリンクさえ禁じられるわけですから。」


http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51232218.html

上記は次のような2つの論点に整理できる。

@個人サイトが違法でなぜ検索サイトは違法にならないのか。
Aリンクを貼ることを制限することは、言論の自由、およびそれへのリンクの自由すら禁じることになるのではないか。


まず@について考えて見よう。小飼氏が言うように、検索エンジンで児童ポルノを検索すると、検索結果には大量の「違法サイト」へのリンクが表示されることになる。URLを貼るだけで違法になるのであれば、検索サイトも罰せられることになるのではないか?これが小飼氏の問題提起だ。ここにネットを考える上で決して見過ごすことのできない、重要な論点が含まれている。

なぜ個人サイトでリンクを貼ると違法になり、検索サイトでは違法にならないのか。それは、一般の人々が、検索結果の表示を、ある種の「公共空間」と見なしているからなのではないか。検索エンジンでは、ロボットが自動的にURL情報を収集して検索結果を表示している。つまり、ロボット(技術)が、いかなる価値判断や倫理とも無縁にリンクを貼り付けてパブリックな空間を構築しているものであると、誰もが想定しているのではないか。

例えば、ある街の電柱に大麻販売のポスターが貼られていたとして、その街が訴えられるということはないだろう。しかし、個人経営のバーなどにそれが貼られていていたら、そのバーの主人も罪を咎められる。そういうロジックなのではないか。

次にAについて考えて見よう。ネットにおける「リンクの貼り付け」という行為は単に言論の自由の問題に留まらない。それは小飼氏が言うような「自由な言論へのリンク」という視点とは別の次元の話しだ。つまり、ネットにおける「リンクの貼り付け」という行為は、単に言論のレベルの話ではなく、具体的な「行動」のレベルの話になってくるのだ。

テレビや新聞のような一方通行のマスメディアでは、経験はすべて言論の受容というレベルに留まるであろう。しかし、インターネットのような双方向メディアの場合は、受け手自身もその情報に基づいて「実際に」具体的な行動をすることができるのである。例えば、ショッピングサイトでは実際に買い物が出来てしまうし、就職サイトでは就職先へのエントリーができてしまう。また、受け手がさまざまな情報を組み合わせて二次創作を行ってそれを公開して、新たな空間を「実際に」作ることもできる。

つまり、サイバースペースにおいては、リンクを貼るという行為は、言論のレベルに留まるものではなく、具体的な行動を伴う極めて「現実的」な行為なのだ。違法サイトへのURLを貼り付けるということは、現実世界で違法な店への入り口を示して誘導しているのとまったく同じ行為なのだ。そこでは、画像や動画を収集したり、商品を購入したり、実際に人と出会ったりなど、現実的な世界が待っている。

以上の論点からすると、仮にリンク先のURLが本当に「違法」なのであれば、確かにURLの貼り付けも一定の罪に値するのではないかと考えられる。しかし、これはあくまでリンク先のURLが違法であればの話だ。その問題に関しては、今回のエントリではひとまず置いておくことにする。

それに加えて、もう1点重要なのが、今回の事件で問題となったサイトの「コンテキスト」だ。たとえば、違法サイトへの「誘導」を目的としたコンテキストでリンクを貼ったのであれば一定の罪が認められるかもしれないが、違法サイトの「摘発」などを目的としたコンテキストで貼ったリンクも違法とされるのであれば、それこそ言語道断、言論の自由の不当な侵害だ。

ネットと法に関する問題では、上記のような複雑な問題が放置された状態で「児童ポルノを紹介したんだから悪い」というように議論が単純化され世論が形成されていく。そしていつの間にか法案が成立してしまっているのである。この問題は、政治家や法律家だけで解決できるものでは決してなく、技術者や経済学者、社会学者など多くの専門家が参加して学際的な議論を展開すべき問題なのである。
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2009年06月26日

ネトゲ廃人について考える。

<ネトゲ廃人>【1】バーチャルに生き、現実世界で生きられない人、増える

「寝食も忘れてインターネットのゲームにのめりこみ、学校や職場に行けなくなる人たちが現れ始めた。現実で生きることを放棄した彼らは、「ネトゲ廃人」と呼ばれる。廃人がひしめくバーチャルな世界で、何が起きているのか。」(毎日jp)

RPGはそれなりに好きな私だが、オンラインでやることにはなぜか全く魅力を感じないので、ネットゲームというものは今まで一度もプレイしたことがない。私の場合、RPGの世界の中でくらい一人にしてくれという思いが強い。だから、人とのコミュニケーションが発生するオンラインゲームを煩わしく感じるのだろう。

しかし、ネットゲームが好きな人たちは、ゲームの中とはいえコミュニケーションを求めているように思える。RPGは絶対一人がいいという私のようなタイプに比べれば、よほど社交的なのではないか。なんて考えていたのだが、事態はそう単純ではないようだ。ここでは、ネットゲームにハマる人たちを「オンライン型」、スタンドアロンにこだわる人たちを「オフライン型」と分けて考察してみよう。

「オンライン型」であれ、「オフライン型」であれ、RPGが好きな人たちは多かれ少なかれ「現実逃避」の欲求を持っている。仕事がうまくいかないサラリーマンが、現実を忘れるために深夜遅くまでドラクエをやる様などをイメージすると分かりやすい。しかし、両者は同じ現実逃避でもその質はかなり異なる。

「オフライン型」は日常生活において「対面的コミュニケーション」が過多、あるいはある程度充足されており、RPGの世界ではそのような煩わしい世界から逃れたいと考えている。それに対し、「オンライン型」は日常生活において、「対面的コミュニケーション」が皆無、あるいは不足している状態で、そのような孤独な現実から逃れようとしているのだ。あるいは別の言い方をすれば、前者は「存在の重さ」からの逃避、後者は「存在の軽さ」からの逃避を求めているとも言えるかもしれない。

両者とも度を越してしまうと深刻な問題になるが、「オンライン型」の方がより危険なように思える。というのも、「オンライン型」は「人とのコミュニケーション」という人間本来に備わっていると思われる欲求がある程度満たされてしまうからである。そのような欲求が満たされてしまうと、人はオンラインゲーム内だけで自己完結してしまい、世界を閉じてしまうのである。しかし、言うまでもなく、多くのメディア論が指摘しているように、ネット空間のコミュニケーションとは現実世界のコミュニケーションは質的に異なる。その質的な違いがいったいプレイヤーにどのような影響を与えるのだろうか…。

また、引用記事の連載3では、オンラインゲーム会社側が、プレイヤーの中毒化の責任を取っていない問題が挙げられている。ゲーム中毒の原因をプレイヤーだけでなく、そのような中毒を生み出すようにゲームを設計しているメーカーにまで求めるというのは、今までにない傾向なのではないか。

オンラインゲームは、プレイヤーのコミュニケーション欲求をある程度充足させ、また次々と強い敵キャラや新しいステージを出現させることで、エンドレスにプレイヤーを仮想世界に動員しようと企てる。オンラインゲームはこのような深刻な問題性を孕んだ現代社会特有のメディアだ。それゆえに、今後学問的にももっと研究される必要があるだろう。
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2009年05月31日

リアルタイムテキストの可能性



これは結構面白そうなサービスだ。一見とりたてて新奇性もないように感じられなくもないが、キモはテキストでのコミュニケーションがリアルタイムになる点だろう。

【詳報】Google Waveとは何なのか?

「タイプ中の文字は1文字ずつサーバに送られ、各クライアントにほとんどタイムラグなしに動的に表示される。多くのインスタント・メッセンジャーでは、相手がタイピング中であることは表示されるが、実際に相手のメッセージが届くのを待つことになる。これがWaveではタイプ中の文字がサーバからリアルタイムに送られてくる。「これは会話をとてつもなくスピードアップさせます」

これはもしかしたら、ウェブコミュニケーションに革新をもたらすかもしれない。なぜなら、完全リアルタイムでのテキスト表示が可能になれば、コミュニケーションの厚みが格段に増すからである。

例えば、今までのメッセンジャーその類のテキスト・コミュニケーションでは、

「あなたを愛している」

と一文すべてが一気に表示されてしまう。それが、文字入力がダイレクトに反映される、リアルタイム形式になれば、

「あなたを(3秒ほど沈黙)愛している」

というような表現もできるようになる。つまり、一文の間にも「時間性」を介入させることにより、「感情」などより多くの情報を伝えることができるようになるのである。
ラベル:メディア
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2009年02月16日

村上春樹氏がエルサレム文学賞を受賞

勇気ある決断だったと思う。

村上春樹氏がイスラエルの文学賞である「エルサレム文学賞」の授賞式に出席した。パレスチナ問題を扱うNGOから受賞辞退を求める声明も発表されていて、村上氏の行動には注目が集まっていた。

「受賞しない」という選択ももちろんあったのだろう。
しかし、村上氏は「受賞してイスラエルの地に赴く」という選択を選んだ。

作家・村上春樹さんが「エルサレム文学賞」を受賞
「私は遠くで見てるより、ここに来ることに決めた。自分の目で見ることを選んだ。何も話さないよりも、皆さんと話したいと思った」
(広島ホームテレビ 02月16日07時54分)

上記のサイトで短い動画だが、スピーチをする村上氏の姿を見ることができる。動画の中の村上氏の表情は終始一貫して硬い。いささか大げさな身振りを交えながら、幾分神経質にも見える口調で、英語のスピーチをする村上氏は、現在のパレスチナを巡る事態の深刻さを踏まえつつ、内にイスラエルに対する激しい怒りを秘めているようにも見える。

村上春樹さんに「エルサレム賞」=スピーチでガザ侵攻を批判
「村上さんは例え話として、『高い壁』とそれにぶつかって割れる『卵』があり、いつも自分は『卵』の側に付くと言及。その上で、『爆弾犯や戦車、ロケット弾、白リン弾が高い壁で、卵は被害を受ける人々だ』と述べ、名指しは避けつつも、イスラエル軍やパレスチナ武装組織を非難した」
(時事ドットコム 02月16日06時47分)

村上氏が授賞を受けたことに関しては今後少なからず賛否の声が上がってくることだろう。その中で、私自信は今回の村上氏の行動を勇気ある決断として支持したい。村上氏は、地下鉄サリン事件を扱った『アンダーグラウンド』以降、「社会へのコミットメント」をテーマに作品を書き続けている。今回のエルサレム賞受賞は、事件から10年以上経った今でもなお、村上氏が「社会へのコミットメント」というスタンスを堅持しているということを、全世界に向けて証明したのだ。

村上氏は近年、「悪」というテーマも追求したいと語っている。今年初夏に刊行が予定されている氏の最新長編小説で「悪」が扱われることは間違いない。それがまたヘブライ語に翻訳されたあかつきに、イスラエルの人々の心にどのような影響を与えるのだろうか。絵空事かもしれないが、その1冊が、平和への小さな芽となってくれることを願わずにはいられない。
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2009年01月22日

珍しい形式のオバマ就任演説ネタ―朝日新聞「素粒子」

昨日の朝日新聞のコラム「素粒子」が面白かった。多くの「オバマ大統領就任演説ネタ」の中でも、演説の内容には全く触れていない珍しい文章だと思う。短いので全文引用させていただく。

「未明の米大統領就任演説テレビ中継に見入る。おや、と思ったのは、歴史的な言葉を期待されて動く口の上の、二つの瞳。

その表情は、穏やかで落ち着いていて、冷静。歓喜の渦の主役でありながら、不似合いなほどの静謐さを漂わせていた。

期待の大きさと直面する危機。その瞳に、早くも新大統領の孤独を見た気がしたが。目は口ほどに物を言・・・わない、か。」

(2009年1月21日 朝日新聞 夕刊「素粒子」)


演説の内容には全く触れず、映像に映し出される大統領の表情を見据えて、鋭くその胸中を洞察している。文学性のある文章でありながら、批評性も持たせるという、職人芸のような文章。最後の件で、自らの主観的な想像を嗜めている所がまた、この文章の味わい深さを増している。

「素粒子」は昨年、当時の鳩山法相を「死に神」と表現したことが話題になったりと、割と執筆者の主観が全面的に押し出されているコラムだと思う。あまりピンとこないものも中にはあるが、大抵の作品は、大衆の気持ちを短い文章で鋭く代弁してくれていると思う。

こういう「主観的な解釈」は、読者の感性の視界を開き、新鮮な物の見方を提供する。これこそ、人文社会科学の誇るべき遺産のひとつなのだと思う。しかし、世の中にはこういう「主観的な解釈」を「統計やデータに基づいていない印象論」と批判する人もいる。しかし、「主観的な解釈」にしか捉えられない物は必ず存在するし、それがデータや統計に基づいた知見に比べて、優劣をつけられるものではないことは確かだと思う。
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2009年01月21日

「新しい責任の時代」とは―オバマ大統領就任



昨年11月の大統領選挙勝利演説の時に比べると、いささかインパクトには欠ける部分もあったが、(まあ、あの時は社会全体の期待と演説の内容が奇跡的に一致した素晴らしい出来事だったので仕方ないが)それでも米国と西側諸国に希望を与える良い演説だったと思う。

今がかつてない危機の時代であることを改めて認識し、アメリカは自信を喪失している。しかし、それでもアメリカは過去の偉大な功績を思い起こし、システムを再建し、この困難を解決できると力強く語った。

オバマ大統領は、今後始まる大規模な経済再生政策を嘲る「皮肉屋」達の不毛な議論に対しても反論を述べた。「政府が大きいか小さいかが重要なのではない。大切なのは機能する政府だ」「市場が良いのか悪いのかではない。市場は富をもたらす偉大なもの。しかし注意深く見ていないといけない」と、市場への「政府の介入」路線をはっきりと示した。

外交に関しては、イラクからの撤退、アフガニスタンの平和構築を掲げながらも、「テロは必ず打ち負かす」と強圧的な姿勢も示した。オバマ大統領が新たな対テロ戦争の指導者とならないことを願わずにはいられないくだりだった。

今回の演説の最大のキーワードと目されているのが「新たな責任の時代」だ。それは、未曾有の危機に挑戦するために、「米国民1人1人が自分たち自身、国、世界に対して責任を持つということ」だと言う。

この表現は、「国民の国家への奉仕を求める」表現として、ケネディと対象的な、極めて現代的な表現だと思った。ケネディは「国家が国民に何をするかではなく、国民が国家に何をするかだ」と演説したが、もし今の時代に同じ表現で語った場合、反感を持つ人も出てきたのではないか。これを「責任」という言葉で巧みに表現したオバマは、時代の空気を敏感に読む、卓越したセンスを持っているのではないか。

「新しい責任」とは、新自由主義が国民に強いる「自己責任」とは異質なものと理解して間違いないだろう。それは、経済や外交面における未曾有の困難に立ち向かうために、政府と国民が一致団結してその責務を果たすというものであり、決して人々を戦争へと誘うあの危険な愛国心とは異なるものであると信じたい。


posted by Tommy at 11:23| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月07日

派遣切り報道に見るマスコミの信念なき報道

★「派遣切るな」2千人 怒りと不安、東京・日比谷

世界不況のあおりを受けて、非正社員らを減らす勢いが加速している。相次ぐ「派遣切り」に、不安を抱える労働者からは、対策を求める大合唱が起きている。
 4日夜、東京・日比谷野外音楽堂は、2千人の非正社員や労働組合の関係者らで埋まった。怒りと不安が満ちていた。(2008年12月4日asahi.com)



12月4日、日比谷公園で、不当に契約を打ち切られた派遣社員が大規模な集会を行った。世界不況の影響を受けて、経営状態が悪化した企業が非正規社員を一方的に解雇しているのだ。(まあ、今では日本IBMのように正社員でさえ少しも安心ではないのだが。)

この集会の模様が翌日の夕方のニュースで「このままじゃホームレスになってしまう。派遣社員怒りのデモ」みたいなセンセーショナルな見出しで報道されていた。夜の日ニュースでも同じように派手な報道がされていて、やけにテンションの高いニュースキャスターが「非正社員も正社員と同じように保障されるべき、私はこう思うんですけどね」みたいな聞いてて発疹が出てきそうな正論をぶちかましていた。(まあそれがニュースキャスターの仕事なんだから仕方ないのだろうが。)

不当解雇は確かに悪い。不況になって経営が苦しくなったからって非正規社員を一方的に解雇していくというのは企業側のエゴだし、労働者の権利を無視している。

しかし、である。契約を打ち切られるからと言っていきなり「ホームレスになってしまう」状況って、それはそれでいかがなものなんだろうか。そういう人は万一の時に備えて貯金をしたり雇用保険を払ったりしていなかったのだろうか。

労働問題ではこのような「自己責任論」が常に争点となる。企業もしくは社会が悪いのか、それとも労働者側が悪いのか。前者が、社会が非正規雇用を増やしたから低賃金労働が増えたと考えるのに対し、後者は、労働者は自ら望んで非正規雇用に就いている、自業自得だ、と考える。

この点に関しては、私は、正直言ってケースによって異なると思う。企業側が悪いケースもあるだろうし、労働者側に問題があるケースもあるだろう。

私は一般企業の退職経験があるので、職安のお世話になったことがあるのだが、あの場所の醸し出す負のオーラには凄まじいものがあった。そこには職員とまともにコミュニケーションしようとしていない肥満の男性や、やたらイライラしてそばにあるホワイトボードなどを蹴っ飛ばしている中年男性などがいた。正直、あれでは就職できないよと思ってしまった。自分で就職しやすくなるような努力を何もしていないのだ。

今回の派遣打ち切りのケースも、経済不況の影響だし、それ自体は企業側に責任がある問題だ。しかし、それでいきなりホームレスになってしまうというのはもうそれは本人の問題なのではないか。私のよく知る人の中にも、借金を抱え、当然貯金も一銭もなく、生活に困窮している人がいる。彼らは自らの不幸を社会のせいにしているが、私の見る限り身から出た錆だった。それなりに収入のある時期もあったのに、貯金をしてこなかった自分が悪いとしか言いようがない状況だった。

マスコミは、そういう労働者側の状況など少しも鑑みることなく、ただ「このままではホームレスになってしまう!」と感情的なニュースを報道する。問題なのは、そのような報道の背後には労働者への共感など毛ほどもなく(それはそうだ。みな平均年収トップクラスのテレビ局社員なのだから。)単にセンセーショナリズムにのみ基づいているという点だ。マスコミは労働者の権利を守るという信念で動いているのではなく、この場合そう報道した方が視聴率が取れるからという理由で動いているだけなのだ。

このようなマスコミの信念なき報道は、労働者の怒りの感情を無暗に刺激し、労働問題を泥沼化させる以外何の効果もありはしない。今回の報道で、私が職安で見たような職に悩みを抱えた人たちは、より企業や社会への憎悪を募らすことだろう。企業側の責任と労働者側の責任、双方を公平に分析した冷静な議論、これこそが今この国の労働問題には求められているのだと思う。


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2008年11月23日

【ニュース】殺人事件の過剰報道がもたらす影響

■警察ネタ過剰がもたらすもの

元厚生事務次官殺害の容疑者が逮捕された。

★「次官を殺した」男が警視庁に出頭、身柄確保(asahi.com)

現報道から判断するにまた動機があいまいな殺人事件だったようだ。人はこのような理不尽な理由で絶対に殺されてはいけない。亡くなられた夫妻の無念を思うと本当にいたたまらない。

しかし、である。

★警察ネタの過剰(池田信夫blog)

「ここ数日、各社のトップニュースは元厚生事務次官殺害事件の関連で埋まっているが、もううんざりだ。(中略)海外から帰ってきて日本のテレビを見ると、いつも違和感を抱くのは、こういう警察ネタの扱いが異様に大きいことだ。」

この池田氏の「警察ネタの過剰」という意見には全く同感。

事件以来、例えば朝日新聞1面の見出しは、「刺し傷多数」とか「黒い車目撃情報」などまるで推理小説の展開を煽るようなものが続いた。

このような過剰報道は、社会心理学の用語で言う「培養効果」をもたらすだけだ。つまり、殺人事件のような、人々に恐怖を抱かせるような事件を過剰報道すると、読者や視聴者の社会不安をむやみに増大させる結果になるということだ。

社会不安が増大すればするほと、人々は必死に「セキュリテイ」を求めるようになる。以前もこのブログでも取り上げた「ゲーテッドコミュニティ」のように、自ら進んで監視された空間に住むようになるのだ。

その先に待っているのは「監視社会」というものが、いかに政府にとって好都合であるかは、もはや言うまでもない。

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2008年11月21日

思春期最大の危機は中学生に訪れる−児童生徒の暴力最多

■児童生徒の暴力行為過去最多

きわめて社会学的な問題。

児童生徒の暴力最多、「ネットいじめ」21%増 文科省

「全国の学校が07年度に確認した児童生徒の暴力行為は5万2756件と前年度比で18%増え、小中高校のすべてで過去最多だったことが、文部科学省が20日付で発表した「問題行動調査」でわかった。感情をうまく抑制できずに急に暴力を振るうなど、学校現場が対応に苦しむケースが広がっているという。」(2008年11月21日asahi.com)

だが、記事にも書かれているが、「けがや診断書、警察への届けの有無に関係なく報告するよう求め」るなど、前回の調査よりも対象範囲が広げられているので、前回から急激に増加するのも無理はない。調査条件が異なるから単純に増えたか減ったかは何とも言えない状況だ。

それに全国の小学生から高校生が、年間で5万件の暴力って果たして大野だろうか?文科省の最新版学校基本調査によると、全国の小、中、高の生徒は約1400万人。仮に暴力行為5万件全てが別の生徒が行ったとして1400万人中の5万人…って、0.36%くらいじゃん!

暴力行為自体は良いことでも何でもないが、そのくらいの年であれば0.36%の生徒が暴力をふるうのも無理ないのではないか。

今回の調査でむしろ注目したいのは、小・中・高の内訳だ。小学生が約5,000件、高校生が約10,000件に対し、中学生は36,000件んでダントツだ。生徒間暴力、対教師暴力、対人暴力、器物破損すべてにおいて小学生、高校生を上回っている。

■中学生は思春期最大の危機の時期

こういう結果を見ると、思春期最大の危機は中学生なのだなということが良く分かる。小学生は既に物心がついて、大人の世界もかなり理解しているが、世界との深刻な衝突はまだ生じていない。高校生になるとある程度現実とはこんなもんだという認識が出来るようになってきて、精神も安定してくる。(あくまで実感)

しかし、その狭間に位置する中学生には、世界との苦難の衝突が待っている。自己と他者という意識に目覚め始め、アイデンティティーが深刻な問題になってくる。自分の中にありとあらゆる欲求が爆発しそうなくらいあふれてくるのに、現実はそれに応えてくれない。

そういう思春期の危機ともいえる事態が最も顕著に表れるのが中学生なのだ。そりゃあ、窓ガラスの1枚くらい割りたくもなるだろう。(もちろん決して良いことではないのだが。)

対策のカギとなるのはやはり、家族と学校だ。生徒を殴ったり、窓ガラスを割ったりする子供を、道徳的に批難するのではなく、なぜその子はそういう行為をするに至ったのかを、ひとりひとりと向き合いながら考えていく必要があるのだと思う。
posted by Tommy at 20:42| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月08日

人間この醜き者―破産教習所社長・債権者集会の動画

■動画に映ったリンチ現場

10月31日に倒産した八王子自動車教習所の社長が、11月3日に開いた債権者集会の模様がネット上に公開され話題になっている。

★破算の教習所・債権者集会の動画がネットに続々

【動画】八王子自動車教習所債権者説明会、土下座を引っ張り起こして爆笑
http://jp.youtube.com/watch?v=s5H5SgABcuQ

動画を見るやいなや吐き気がしてきた。謝罪する社長を無理やり土下座させて、品性の欠片もない言葉で罵声を浴びせる。しまいには土下座している社長の体を引き起こし、皆で笑い物にしている。

実は私は、学生時代に八王子近辺に住んでいたことがあり、運転免許はこの八王子自動車教習所で取得した。もし当時の教習中に、今回のような倒産が発生していたら、私も当然抗議していたであろう。

しかし、この動画に映っている人たちの行動は、抗議とはとうてい言えない。暴力行為と言っても過言ではない。下記のニュースでは「言葉によるリンチ」と表現されているが、まさにその通りの行いだ。

★言葉によるリンチではないか! 土下座する倒産教習所社長に罵声


今回の倒産で、総額2億円の受講費が返還されないらしい。本来であれば社長の経営責任が追及されるはずが、逆に「集団リンチ」を行った受講生たちの方が批判の的となっている。それどころか、YouTubeのコメントでは八王子市民の愚劣さを指摘するような行き過ぎの書き込みまで出ている。

結局、今回の一件で、動画の受講生たちは、社長を糾弾するどころか、逆に全国に(全世界に?)己の醜さをさらけ出す結果になってしまった。

それにしても、今回の倒産で指導教官の方々は皆どうなったのだろうか。学科授業や実地講習などでお世話になった方々がたくさんいたので、会社は早期に次期就職先を調整してあげてほしい所だ。
posted by Tommy at 00:10| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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