2008年11月25日

カップルの新しいコミュニケーション方法―向かい合って無言でPSPをやる

■無言でPSPをやり続けるカップル

以前とあるカフェで、若いカップルが向かい合わせに座りながら、お互いほとんど口をきかず黙々とPSPをやっていた。本当に時折、ゲームに関してちょこっと会話したかと思うとまた直ぐにゲームの世界に戻ってしまった。若い男女が向い合せになれば、何らかの会話を楽しむか、もしくはケンカしていてむっつり押し黙っているか、どちらかだと思っていた私は、少なからず衝撃を受けた。

これは中野収氏の名著『メディア人間』に登場した、バスに乗り合わせた学生が互いに会話することもなくウォークマンを聞くというあの「メディア人間的」なコミュニケーション形体なのではないか。

メディア人間―コミュニケーション革命の構造
メディア人間―コミュニケーション革命の構造

電子メディアが発達する以前は、コミュニケーションというものはFace to Faceのものがメインだった。(手紙などはあったが。)それが、電話、テレビ、ウォークマン、インターネットなどの発達により、メディアを媒介した新しいコミュニケーションが次々と誕生している。

それらのメディアを介したコミュニケーションを、一概に「Face to Faceより劣るもの」と決め付けることはできない。

例えば、ブログを介したコミュニケーションなどは、自分自身の趣味や価値観をFace to Faceの時よりも遥かに的確に伝えられるということもあるのではないか。実際に対面して、自分とはこういう人間ですと説明するよりも、自分のブログを相手に読んでもらった方が、遥かに自分という人間を理解してもらえるというケースもあるのではないか。

今回の対面状況でのゲームを介したコミュニケーションもそうだ。プレイしているソフトは確認できなかったが、例えば「モンスターハンター」であったとしたら、2人で強力して巨大モンスターを狩りに行く冒険をしていたかもしれないのだ。片方が剣を駆使して必死にモンスターと戦い、もう片方が傷ついた相方を魔法で回復させている。この無味乾燥な現実世界を離れて、2人で壮大な冒険の経験を共有していたかもしれないのだ。

電子メディアの発達は、従来のコミュニケーションの延長としては捉えきれない、質的な変化を確実にもたらしている。我々は、従来の「Face to Face」=正、「メディアコミュニケーション」=誤という単純な二項対立に陥ることなく、この新しいコミュニケーションを正確に分析していかなくてはならない。
posted by Tommy at 23:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月24日

池田信夫氏の「『意味づけ』の病」エントリを批判する

■飛躍した批判

前回の記事で私は、元厚生事務次官夫妻殺害事件の過剰報道を批判する池田信夫氏の意見に賛同したが、今回のはちょっといただけないと思った。

★「意味づけ」の病(池田信夫blog)
「元厚生事務次官殺害事件は、やはり頭のおかしい男の場当たり的な殺人のようだ。ワイドショーでは朝から晩まで、いろんなコメンテーターがこの事件の「意味」を解説しているが、それは無駄である。「犬の仇討ち」というシュールな動機も、本当かどうかはわからない。むしろ統合失調症のような疾患を疑ったほうがいいだろう。」

「過剰報道」という「量」の問題を、「意味づけ」という「質」の問題まで飛躍させてしまっていて、一転して暴論になってしまっている。

entryでは、マスメディアの過剰な意味付けだけでなく、あろうことか、わざわざ秋葉原事件に関する社会学者らの論考集まで吊るしあげて「読んではいけない」と批判している。

犯罪に過剰な意味付けをすべきでないという池田氏は、今回の犯人を「統合失調症患者」で片づけてしまおうとしている。entryではオウム事件にも触れられていて、「集団的な精神病」という一言で片づけてしまっている。

これは明らかに暴論だ。

私に言わせれば、池田氏のように犯罪者を「精神異常者」の一言で処理してしまうのは、あまりに事態を短絡的に捉え過ぎているだけでなく、精神病患者へ「異常者」というレッテルを貼りつけ排除する事態にも繋がる危険な考えだ。

■社会的意味づけの意味

では逆に犯罪に対して意味付けを行うことは正しいことなのだろうか。

これに関しては非常に複雑かつ込み入ったテーマなので、とても1entryでは考えつくせないので、素描だけ述べておく。

犯罪者に意味付けをすることは「諸刃の刃」である。

犯罪者の動機を深く分析し社会的な意味を考察することは、人々に「自分自身も犯罪者に通じる部分があるのかもしれない」という自省させる、いわば啓発的な効果が期待できるのだ。

その一方で、犯罪者の動機分析は逆に、ある特定の人物に対しては「自分と同じ思いを持った人間がいた」という刺激を与えてしまい、類似事件を発生させる引き金になってしまう危険もある。

しかし、それでも私は、犯罪者の社会的な意味を考えることは無駄ではないと信じている。そこには、犯罪者を単純に「きちがい」とか「異常者」として片付けることでは見えてこないリアルが存在しているはずなのだ。

そして、もしそのようなリアルが存在しないのだとしたら、私たちは社会をより良いものに変えていくための一切の契機を持たないことになってしまう。常に一定の割合で「異常者」が発生することを仕方ないものとして怯え続ける社会など誰が望むだろうか。

犯罪の社会的な意味を考えることは、自分自身に引きつけてその問題を考えるということだ。それを生かすか殺すかは我々一人一人の「自分自身と向き合う強さ」―それは村上春樹の言う「タフさ」に近いものかもしれない―にかかっている。
posted by Tommy at 23:59| Comment(0) | ウェブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

【ニュース】殺人事件の過剰報道がもたらす影響

■警察ネタ過剰がもたらすもの

元厚生事務次官殺害の容疑者が逮捕された。

★「次官を殺した」男が警視庁に出頭、身柄確保(asahi.com)

現報道から判断するにまた動機があいまいな殺人事件だったようだ。人はこのような理不尽な理由で絶対に殺されてはいけない。亡くなられた夫妻の無念を思うと本当にいたたまらない。

しかし、である。

★警察ネタの過剰(池田信夫blog)

「ここ数日、各社のトップニュースは元厚生事務次官殺害事件の関連で埋まっているが、もううんざりだ。(中略)海外から帰ってきて日本のテレビを見ると、いつも違和感を抱くのは、こういう警察ネタの扱いが異様に大きいことだ。」

この池田氏の「警察ネタの過剰」という意見には全く同感。

事件以来、例えば朝日新聞1面の見出しは、「刺し傷多数」とか「黒い車目撃情報」などまるで推理小説の展開を煽るようなものが続いた。

このような過剰報道は、社会心理学の用語で言う「培養効果」をもたらすだけだ。つまり、殺人事件のような、人々に恐怖を抱かせるような事件を過剰報道すると、読者や視聴者の社会不安をむやみに増大させる結果になるということだ。

社会不安が増大すればするほと、人々は必死に「セキュリテイ」を求めるようになる。以前もこのブログでも取り上げた「ゲーテッドコミュニティ」のように、自ら進んで監視された空間に住むようになるのだ。

その先に待っているのは「監視社会」というものが、いかに政府にとって好都合であるかは、もはや言うまでもない。

posted by Tommy at 23:59| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月22日

管理人のプロフィール

管理人のプロフィールページをまだ作っていなかったのでentryしておきます。

Seesaaブログには、はてダみたいな気の利いたプロフィールページがない。
だからこうして記事をentryして作成しないといけない…。


■当ブログについて

 脱サラ大学院生が、日々思ったこと、考えたことを綴るブログ。
 社会学関連の大学院に所属しているため、それ系の本の紹介や、
 気に入った映画や音楽の紹介、気になったニュースへのコメントなども書いていきます。

■管理人

 Tommy

■性別

 男

■プロフィール

 東京生まれ。大学卒業後、一般企業で営業職を経験、退職。
 都内の大学院に在籍中。

■趣味

 ・読書。趣味欄に読書と書いてもあまり意味はないが。
  ジャンルは社会科学関連、小説、ビジネス書など。
 
 ・音楽鑑賞。コテコテのポップスが好きだった。
  最近はやっとUKロックとか通好みの音楽の良さが分かるようになってきた。


ひとまず以上です。
今後必要に応じて補足していきます。

こんな私でよろしければ、これからもどうぞお越しくださいませ。


posted by Tommy at 22:47| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月21日

思春期最大の危機は中学生に訪れる−児童生徒の暴力最多

■児童生徒の暴力行為過去最多

きわめて社会学的な問題。

児童生徒の暴力最多、「ネットいじめ」21%増 文科省

「全国の学校が07年度に確認した児童生徒の暴力行為は5万2756件と前年度比で18%増え、小中高校のすべてで過去最多だったことが、文部科学省が20日付で発表した「問題行動調査」でわかった。感情をうまく抑制できずに急に暴力を振るうなど、学校現場が対応に苦しむケースが広がっているという。」(2008年11月21日asahi.com)

だが、記事にも書かれているが、「けがや診断書、警察への届けの有無に関係なく報告するよう求め」るなど、前回の調査よりも対象範囲が広げられているので、前回から急激に増加するのも無理はない。調査条件が異なるから単純に増えたか減ったかは何とも言えない状況だ。

それに全国の小学生から高校生が、年間で5万件の暴力って果たして大野だろうか?文科省の最新版学校基本調査によると、全国の小、中、高の生徒は約1400万人。仮に暴力行為5万件全てが別の生徒が行ったとして1400万人中の5万人…って、0.36%くらいじゃん!

暴力行為自体は良いことでも何でもないが、そのくらいの年であれば0.36%の生徒が暴力をふるうのも無理ないのではないか。

今回の調査でむしろ注目したいのは、小・中・高の内訳だ。小学生が約5,000件、高校生が約10,000件に対し、中学生は36,000件んでダントツだ。生徒間暴力、対教師暴力、対人暴力、器物破損すべてにおいて小学生、高校生を上回っている。

■中学生は思春期最大の危機の時期

こういう結果を見ると、思春期最大の危機は中学生なのだなということが良く分かる。小学生は既に物心がついて、大人の世界もかなり理解しているが、世界との深刻な衝突はまだ生じていない。高校生になるとある程度現実とはこんなもんだという認識が出来るようになってきて、精神も安定してくる。(あくまで実感)

しかし、その狭間に位置する中学生には、世界との苦難の衝突が待っている。自己と他者という意識に目覚め始め、アイデンティティーが深刻な問題になってくる。自分の中にありとあらゆる欲求が爆発しそうなくらいあふれてくるのに、現実はそれに応えてくれない。

そういう思春期の危機ともいえる事態が最も顕著に表れるのが中学生なのだ。そりゃあ、窓ガラスの1枚くらい割りたくもなるだろう。(もちろん決して良いことではないのだが。)

対策のカギとなるのはやはり、家族と学校だ。生徒を殴ったり、窓ガラスを割ったりする子供を、道徳的に批難するのではなく、なぜその子はそういう行為をするに至ったのかを、ひとりひとりと向き合いながら考えていく必要があるのだと思う。
posted by Tommy at 20:42| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。